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徳島地方裁判所 平成3年(行ウ)8号 判決 1999年1月22日

徳島県板野郡藍住町徳命字元村一四二―一八

原告

三木重治

右訴訟代理人弁護士

関戸一考

寺田太

徳島県鳴門市撫養町南浜字東浜三九―三

甲事件被告

鳴門税務署長 波多紀幸

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

乙事件被告

右代表者法務大臣

中村正三郎

右被告ら指定代理人

鈴木博

亀崎邦雄

松本金治

高橋延誠

播磨憲

改田典裕

和泉康夫

金島彰治

宇野秋則

加藤公一

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

1  甲事件被告が、原告に対して、平成元年三月七日付でした昭和六〇年分の所得税の更正処分、及び、これに伴う同月一六日付でした過少申告加算税の変更決定後の平成元年三月七日付過少申告加算税の賦課決定処分は、事業所得金額が一〇三一万一九〇〇円を超える部分を取り消す。

2  甲事件被告が、原告に対して、平成元年三月七日付でした昭和六一年分の所得税の更正処分、及び、これに伴う同月一六日付でした過少申告加算税の変更決定後の平成元年三月七日付過少申告加算税の賦課決定処分(但し、国税不服審判所長の裁決によって一部取消された後のもの)は、事業所得金額が一一九八万〇〇八六円を超える部分を取り消す。

3  甲事件被告が、原告に対して、平成元年三月七日付でした昭和六二年分の所得税の更正処分、及び、これに伴う同月一六日付でした過少申告加算税の変更決定後の平成元年三月七日付過少申告加算税の賦課決定処分は、事業所得金額が一二二四万三七〇〇円を超える部分を取り消す。

二  乙事件

乙事件被告は、原告に対し、金二二〇万円及びこれに対する平成三年九月一四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事実の概要

本件は、修正申告を行ったにもかかわらず、更正決定等を受けた原告が、右決定の前提となった事業所得の認定の誤りと、調査手続の違法性を理由に、右決定等の取消を求めた事案と(甲事件)、違法な調査手続と、更正決定を行うに際しての注意義務違犯、そして、終結間際になっての主張変更を理由に、国家賠償法一条に基づき、損害賠償を求めた事案である(乙事件)。

(争いのない事実等―末尾に証拠の記載があるものは証拠によって認定した事実)

一  原告は、昭和五三年ころから、仏壇、仏具の卸売業を営む者である。その営業形態は、オリジナル商品を製造メーカーに発注して、それを仕入れ、小売店に卸し売りをするというものであるが、原告は、毎月一五日ないし二〇日前後、出張して、東海、関東、東北地方の得意先を回り、注文を受けている。原告は、月末から右出張にでかけていた(証人三木清子、原告本人)。

原告は、肩書住居地に居宅兼店舗を構え、一階は店舗と倉庫、二階は事務所、社長室と倉庫、三階は倉庫、四階と五階が原告の自宅となっている。店舗には仏壇と仏具が展示されている(検甲一ないし四〇)。

なお、原告は、平成元年に法人化して、「株式会社金輝」を設立した。

二  更正決定、過少申告加算税の賦課決定処分に至る経緯等

1  原告は、昭和六〇年分ないし昭和六二年分(以下、「本件係争各年分」という。)について、次のような確定申告を行った。

(一) 昭和六〇年分について(申告日昭和六一年三月五日)

事業所得金額 九二五万〇〇〇〇円

申告納税額 一九〇万五二〇〇円

(二) 昭和六一年分について(申告日昭和六二年二月二五日)

事業所得金額 一一五〇万〇〇〇〇円

申告納税額 二五九万〇五〇〇円

(三) 昭和六二年分について(申告日昭和六三年三月三日)

事業所得金額 一二〇〇万〇〇〇〇円

申告納税額 二六八万一五〇〇円

2  原告は、平成元年三月七日、本件係争各年分について、次のような修正申告を行った。

(一) 昭和六〇年分について

事業所得金額 一〇三一万一九〇〇円

申告納税額 二二七万六六〇〇円

(二) 昭和六一年分について

事業所得金額 一一九八万〇〇八六円

申告納税額 二七八万二五〇〇円

(三) 昭和六二年分について

事業所得金額 一二二四万三七〇〇円

申告納税額 二七七万八七〇〇円

3  甲事件被告は、平成元年三月七日、本件係争各年分について、次のような更正決定及び過少申告加算税の賦課決定処分を行った。

(一) 昭和六〇年分について

事業所得金額 二二一二万三二二八円

納付すべき税額 七八三万六四〇〇円

過少申告加算税 四九万七五〇〇円

(二) 昭和六一年分について

事業所得金額 三五九九万三一二六円

納付すべき税額 一五五一万七三〇〇円

過少申告加算税 一一六万二五〇〇円

(三) 昭和六二年分について

事業所得金額 二八六四万二〇〇〇円

納付すべき税額 一〇七四万一〇〇〇円

過少申告加算税 一〇七万三五〇〇円

4  甲事件被告は、前記2の修正申告が行われたことから、同月二八日、前記3の各更正及び過少申告加算税の賦課決定について訂正を行った。

5  原告は、同年五月一日、高松国税局長に対して、本件係争各年分の所得税の更正及び過少申告加算税の賦課決定の前部取消しを求めて、異議申立てを行ったが、同年七月二五日、いずれも棄却された。

なお、このとき、同局の中川郁雄が調査を担当した。

6  さらに、原告は、同年八月二四日、国税不服審判所長に対して、審査請求を行ったところ、同審判所長は、平成三年三月三〇日、昭和六〇年分と同六二年分については棄却したが、昭和六一年分については、一部取消した上、次のような採決を行った。

事業所得金額 二九三七万七五八〇円

納付すべき税額 一一六三万三六〇〇円

過少申告加算税 七六万五〇〇〇円

三  更正決定までの税務調査等

1  清水裕巳、湊正人、菊池敏則はいずれも高松国税直税部資料調査第二課国税実査官であり、清水実査官は本件調査の責任者であった。

2  昭和六三年八月三〇日午前一〇時ころ、清水、湊両実査官は、原告の所得税調査のため、事前の通知なしに、原告方に臨場した。このとき、原告は出張で不在であったことから、原告の妻清子が応対した。そして、清水実査官らは、清子から原告の帳簿類等の提示を受けることはできなかったものの、一階及び三階にある倉庫に入って調査を行った。しかし、事務所と倉庫のある二階には入っておらず、清水実査官らは一階から三階に移動する際にも階段を使わずにエレベーターを使った。

3  原告は、同年八月二七日ころから車で出張に出掛けて、同年九月一五日午前九時半ころ、岩手県内にある得意先を最後に、高速道路を一人で走行して、翌一六日の午前五時ころ、帰宅した。そして、原告は、清子から帰宅報告をしておくように言われたことから、同日の朝、鳴門税務署に電話をかけ、応対に出た古高統括官に対し、体調不良を理由に、調査の延期を申し出た。

清水、湊及び菊池実査官は、同年九月一六日午前中、調査のために原告方に臨場して、原告と、一階応接ソファーで応対した。そして、清水実査官らは昼前に一旦調査を中止し、午後一時すぎに再び原告方に臨場した。

同日、原告からの帳簿類の提示はなかった(証人湊、原告本人)。

4  同月一九日、原告から受任した大栗一男税理士は、高松国税局の横関課長に電話をかけ、調査期日の変更を申し入れた。同月二〇日、実査官が原告方に臨場したが、応対した大栗税理士から、原告は病院に行っていて不在であるので調査期日を変更して欲しい旨の申入れがあったことから、実査官は改めて調査を行うことにした。

5  同年一〇月三日ころ、大栗税理士から電話があり、調査を同月五日に行うことになったが、同日午前一〇時ころ、清水実査官らが臨場したところ、大栗税理士と同税理士が顧問を務める香川合同計算センターの職員二名がいたものの、原告は不在であったことから、調査は全く進展しなかった。

6  同年一二月二一日、大栗税理士が高松国税局に来局し、収支計算書(甲一二)を提出した。

7  平成元年三月一日、徳島税務署内で、清水実査官は大栗税理士と面接した。

8  なお、清水及び湊実査官は、昭和六三年八月三一日から、反面調査に着手した(証人湊)。

清水実査官は、原告の仕入先である有限会社山内、有限会社坂尾木工、岩城工芸、ずずや株式会社、富山工芸、日東工芸を調査した(証人清水)。

四  更正決定の判断過程について

1  清水実査官は、原告の本件係争各年分の事業所得の金額を、原告の仕入先等に対する調査結果をもとに、所得税法一五六条に規定する推計の方法により、原告の本件係争各年分の事業所得を計算した。

2  更正時、推計の基礎として把握した仕入金額、差益率及び標準経費率は、次のとおりである(被告ら平成五年七月一六日付け準備書面)。

(一) 仕入金額

(1) 昭和六〇年分について

仕入先 金額

富山工芸 三五九万五七〇〇円

ずずや株式会社 九三三万〇五三〇円

有限会社坂尾木工 五五六八万〇〇〇〇円

日東工芸 五四三万四六二〇円

合計 七四〇四万〇八五〇円

(2) 昭和六一年分について

仕入先 金額

富山工芸 三四九万六〇〇〇円

大寺木工 二八六三万〇〇〇〇円

ずずや株式会社 二〇七万二七二五円

日東工芸 五五二万四四八〇円

有限会社坂尾木工 六〇九三万五〇〇〇円

岩城工芸 一二〇〇万〇〇〇〇円

合計 一億一二六五万八二〇五円

(3) 昭和六二年分について

仕入先 金額

富山工芸 三四五万六一〇〇円

大寺木工 八八七万〇〇〇〇円

桜谷木工株式会社 七〇〇万〇〇〇〇円

ずずや株式会社 二三九万五〇九五円

有限会社坂尾木工 二七七〇万八〇〇〇円

日東工芸 六六四万三〇八〇円

岩城工芸 一二〇〇万〇〇〇〇円

楠本工芸 九〇〇万〇〇〇〇円

山佛協業組合 四一〇万〇〇〇〇円

有限会社丸善木工 二〇一〇万〇〇〇〇円

合計 一億〇一二七万二二七五円

(二) 差益率及び標準経費率

(1) 昭和六〇年分

差益率 三六・〇八パーセント

標準経費率 一四・四六パーセント

(2) 昭和六一年分

差益率 三六・五一パーセント

標準経費率 一四・五八パーセント

(3) 昭和六二年分

差益率 三六・一三パーセント

標準経費率 一六・一三パーセント

五  被告らの主張変更について

1  甲事件被告は、第四回口頭弁論(平成四年五月二〇日)において、本件係争各年分の売上原価及び売買差益率について、次のように主張していた(甲事件被告同日付け準備書面)。

昭和六〇年分

売上原価 九六五六万八二〇〇円

売買差益率 三〇・八〇パーセント

昭和六一年分

売上原価 一億二〇三〇万二〇〇〇円

売買差益率 三二・〇七パーセント

昭和六二年分

売上原価 一億一九二二万九五〇〇円

売買差益率 三一・四〇パーセント

2  しかしながら、第二五回口頭弁論(平成九年四月一八日)において、本件係争各年分の原告における売上原価、売買差益率を、後述当事者の主張一2のような内容に訂正した。

六  本件係争各年分における原告の仕入金額

1  昭和六〇年度分について

(一) 有限会社山内からの仕入分を除き、以下の分については争いがない。

仕入先 金額

富山工芸 三三二万二二〇〇円

ずずや株式会社 八〇五万九〇〇〇円

有限会社坂尾木工 五〇五〇万五〇〇〇円

日東工芸 五三九万一〇〇〇円

有限会社田村仏具店 一九万五〇〇〇円

合計 六七四七万二二〇〇円

(二) なお、有限会社山内からの仕入金額についても、同年一二月の輝黒丹二二号一二本(合計三一二万円)の仕入を除いて、合計二五九七万円の仕入があったことについては争いはない(原告平成一〇年二月一三日付け準備書面その一、被告ら平成八年一一月一二日付け準備書面9、乙四九)。

2  昭和六一年度分について

(一) 有限会社坂尾木工からの仕入分を除き、以下の分については争いがない。

仕入先 金額

富山工芸 三四九万六〇〇〇円

ずずや株式会社 二〇六万八〇〇〇円

日東工芸 五五四万七〇〇〇円

有限会社山内 二四〇六万〇〇〇〇円

有限会社田村仏具店 一八万七〇〇〇円

有限会社大寺木工 二八六三万〇〇〇〇円

岩城工芸 七〇〇万〇〇〇〇円

合計 七〇九八万八〇〇〇円

(二) なお、有限会社坂尾木工との間で、輝黒丹二二号の仕入を除いて、仕入金額にして合計三一八〇万円の取引があったこと、そして、輝黒丹二二号の仕入本数が合計一一〇本であったことについては争いがない(前記原告準備書面別表2、同被告ら準備書面。なお、右別表2によれば、紫丹二二号の仕入日が空欄となっているものがあるが、六月一八日の仕入と認められる。)。

3  昭和六二年度分について

(一) 有限会社坂尾木工、有限会社山内、有限会社丸善木工からの仕入分を除き、以下の分については争いがない。

仕入先 金額

富山工芸 三三九万六〇〇〇円

ずずや株式会社 二三八万九〇〇〇円

日東工芸 六六三万六〇〇〇円

有限会社田村仏具店 四四万二〇〇〇円

有限会社大寺木工 八八七万〇〇〇〇円

桜谷木工株式会社 七〇〇万〇〇〇〇円

岩城工芸 七〇〇万〇〇〇〇円

山佛協業組合 四一〇万〇〇〇〇円

楠本工芸 九〇〇万〇〇〇〇円

浜木工 二〇〇万〇〇〇〇円

有限会社山田木工所 六五万一〇〇〇円

合計 五一四八万四〇〇〇円

(二) なお、有限会社坂尾木工からの仕入についても、一月における輝黒丹二二号(単価一六万一〇〇〇円)の仕入を除いた仕入金額が二六三六万円であったことについては争いがない(前記原告準備書面別表3、同被告ら準備書面)。

(三) 有限会社山内からの仕入についても、一二月の銀河二五号一二本の仕入を除いて、合計一七五〇万円の仕入がなされたことについては争いはない(乙四九)。

(四) さらに、有限会社丸善木工との間で、仕入金額にして一九三九万七五〇〇円の取引があったことについては争いはない(前記原告準備書面、同被告ら準備書面)。

七  本件係争各年分における特別経費(事業専従者控除を含む)

昭和六〇年分 五二四万二〇二七円

昭和六一年分 八六一万六九九四円

昭和六二年分 四五五万五六五〇円

八  なお、事業所得の算定過程は次のとおりである。

1  まず、仕入金額(売上原価)を確定する。

2  次に、売買差益率を計算して、(一―売買差益率)で売上原価を除して、売上金額を算出する。

3  そして、一般経費率を計算して、一般経費を算出する。

4  最後に、売上金額から、仕入金額、一般経費、特別経費を控除する。

(争点)

一  原告の本件係争各年分事業所得について

1  仕入金額(売上原価)について

(一) 昭和六一年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

(1) 輝黒丹二二号の仕入本数

(2) 値引きの有無

(二) 昭和六二年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

(1) 輝黒丹二二号の仕入本数

(2) 値引きの有無

(三) 有限会社山内からの仕入について

(1) 昭和六〇年一二月における輝黒丹二二号一二本の仕入の有無

(2) 昭和六二年一二月における銀河二五号一二本の仕入の有無

(四) 有限会社丸善木工からの仕入における値引きの有無

(五) 売上原価への外注費の組入れの可否

2  売買差益率算定における推計の合理性

3  一般経費算定における推計の合理性

二  清水実査官らによる調査の違法性について

1  昭和六三年八月三〇日の調査について

2  同年九月一六日の調査について

三  更正決定を行うに際しての注意義務違反について

四  第二五回口頭弁論における主張変更の違法性について

(当事者の主張)

一  争点一について

1  原告の主張

(一) 仕入金額(売上原価)について

(1) 昭和六一年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

輝黒丹二二号(単価一六万一〇〇〇円)の仕入本数は、一一〇本である。

そして、二月に三万五一〇〇円、四月に二二万五〇〇〇円、五月に二万六五五〇円、七月に七万円、合計三五万七〇〇〇円の値引きがなされていることから(甲二一)、右金額については仕入金額から控除されるべきである。運賃の支払は原告の負担であるが、これは坂尾木工のミスにより生じたものであるから、運賃分は代金から値引きせよという形で処理されたのである。

よって、仕入金額の合計は四九三一万四〇〇〇円である。

(2) 昭和六二年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

一月に仕入れた輝黒丹二二号の本数は一〇本である。

そして、坂尾木工がこの年に原告の実用新案を侵害したことなどにより損害が発生したため、坂尾木工は五七万四四五〇円の値引きに応じた。具体的な損害額が確定していないので相殺していない。

よって、仕入金額の合計は、二七四〇万七〇〇〇円である。

(3) 昭和六〇年分、同六二年分における有限会社山内からの仕入について

原告は、昭和六〇年一二月に、有限会社山内から、輝黒丹二二号一二本(合計三一二万円)を仕入れたことはない。また、昭和六二年一二月に、銀河二五号一二本(合計三六〇万円)を仕入れたこともない。

原告は、有限会社山内に対して、黒丹と紫丹を各々一二本(一工程)ずつ注文していたのであるが、昭和六〇年一二月と昭和六二年一二月の注文は独立している。有限会社山内の代表取締役山内延豊は、調査の際、国税局担当者に右のような仕入があった旨述べていたが、原告にこれを指摘されて、誤りであったことに気づき、訂正するに至っている。山内は木村彫刻店に仏壇の木彫り部分を下請に出していたが、原告から注文を受けた分より余分に下請けさせていることからすると、一部は原告に納品せずに他に流していた可能性が高い。そのため、資料のない山内の記憶と木村の資料を照合しても、全く本数が合わず、ミスが生じたのである。

それ故、昭和六〇年分の仕入金額の合計は二五九七万円であり、昭和六二年分の仕入金額の合計は一七五〇万円である。

(4) 昭和六二年分における有限会社丸善木工からの仕入について

昭和六三年一月二五日、彫刻代一五九万円について値引きがなされている(甲二一)。これは、原告が丸善木工に注文した商品に関する彫刻について、丸善木工から、わからないから直接原告で注文して彫ってもらって欲しいと言われて、原告が韓国の業者に支払った分である。

それ故、右金額は仕入金額から控除されるべきであるから、仕入金額の合計は一九二三万八五〇〇円である。

(5) 外注費について

原告は、手直し費用、彫刻代として、次の金額を支出している。

昭和六〇年 五八四万〇五一三円

昭和六一年 七五一万八八七五円

昭和六二年 七〇三万六〇〇〇円

山永商事 一三一万六〇〇〇円

彫刻関係(手直用)の費用

津川商店 四〇〇万円

仏壇仏具の手直し加工費用

平岡工芸 一七二万円

原告は、当初、右金額を特別経費として計上していたが、被告らの主張に基づき、仕入金額として計上することにした。よって、仕入金額として考慮されるべきである。

(6) 原告主張の仕入金額

昭和六〇年 九九二八万二七一三円

昭和六一年 一億二七八二万〇八二五円

昭和六二年 一億二二六六万五五〇〇円

(二) 売買差益率について

(1) 被告らが主張する方法の不合理性

<1> 被告らは、原告が取り扱う三〇種類以上の仏壇のうち「輝」のみを、二〇〇種類以上の仏具のうち「経机」のみを、しかも、「輝」については原告が資料として提出した六二社のうちの一八社に対する売上分のみを対象として、売買差益率を計算している。

<2> しかも、<1>の根拠となった数字についても誤りがある。まず、売上については、仏壇七本、仏具一八本が計上されていない。

(内訳―甲三六)

昭和六〇年分

有限会社富田木工所に対する輝紫丹二二号一本

株式会社富士見堂家具に対する輝黒丹二五号一本

昭和六一年分

山下家具センターに対する輝紫丹二五号二本、輝黒丹二二号一本、経机黒丹二二号一本、経机紫丹二二号三本

いづやに対する輝黒丹二二号二本

昭和六二年分

山下家具センターに対する経机紫丹二二号一本

一心堂に対する経机紫丹二二号猫足九本、経机紫丹二五号猫足二本、経机黒丹二五号猫足二本

また、仕入については、山佛協業組合と浜木工は「輝」を仕入れていないにもかかわらず、これが計上されている。

<3> このほか、仕入について安い有限会社坂尾木工の商品を中心に抽出され、高い有限会社丸善木工の商品については除外されているなど、被告らの恣意がうかがわれる。

(2) 本人比率の合理性

売買差益率については、原告が法人成りした直近三期(平成元年度から平成三年度までの三期)の仕入金額、売上金額から平均売買差益率を求め、その数値(二五・四四パーセント)を用いるべきである。

この方法によれば、原告が取り扱っている全商品を対象にできると同時に、外注費もすべて考慮に入れた差益率を算出できるのであって、しかも、対象年度は法人成りした平成元年、二年、三年の分であり、今日まで七年以上にわたり更正処分を受けることなく申告が是認されて経過していることから、その内容の正確性は担保されているといえ、被告ら主張の方法よりはるかに正確で合理性のある方法といえる。

この点、被告らは、原告が本人比率を主張するのに対し、それを裏づける原始資料を提出しておらず、本人推計に合理性がないと主張する。しかしながら、課税処分の適否は原告の所得に関する認定、判断が所得税法の規定による真実の所得額との対比においてより合理的といえるか否かの観点から判断されるべきものである。しかも、その判断の資料等について、何等の制限があると解すべき実定法上の根拠もない。原告は、税法上容認され、その内容の正確性が帳簿類の備え付け保存で保障された法人の確定申告書と決算書を提出しているのであるから、裏付け資料としては十分である。

(三) 一般経費について

一般経費については、原告が法人成りした直近三期(平成元年度から平成三年度までの三期)における平均一般経費率(一二・五四パーセント)を基準にして計算すべきである。

この点、被告は、製造卸業者を参考にして推計するのであるが、そもそも、卸売りと製造とは明らかに業態が異なるのであって、一般的に卸業のみで営業していこうとすれば、当然販売経費が多くかかり、特に、原告のように、全国各地に得意先を有する場合には、旅費・交通費・車輌費などがそうでない同業者と比較して多くかかることになる。このような原告に固有な事情を考慮することなく推計する被告らの方法は合理性がない。

(四) 原告主張の事業所得

昭和六〇年分 一一九三万六四一六円

昭和六一年分 一三四九万七九四一円

昭和六二年分 一六六六万七二四二円

2  被告らの主張

(一) 仕入金額(売上原価)について

(1) 昭和六一年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

原告は有限会社坂尾木工から一旦仕入れた商品を修理のため返品し、再納品させていたところ、一二月二三日に返品された輝黒丹二二号(一本)は、同年中に再び納められず、昭和六二年一月一九日に納められていることからすると、右本数は仕入本数から控除されるべきである。よって、輝黒丹二二号の仕入本数は一〇九本である。

そして、原告が主張するような値引きの事実については否定する。

それ故、仕入金額の合計は、四九三四万九〇〇〇円である。

(2) 昭和六二年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

(1)で控除された本数も加えるべきであるから、一月における輝黒丹二二号の仕入本数は一一本として計上すべきである。

そして、原告が主張するような値引きの事実は否定する。

それ故、仕入金額の合計は、二八一三万一〇〇〇円である。

(3) 昭和六〇年分、昭和六二年分における有限会社山内からの仕入について

原告は、昭和六〇年一二月に輝黒丹二二号一二本(合計三一二万円)、そして、昭和六二年一二月に銀河二五号一二本(合計三六〇万円)をそれぞれ仕入れており、原告はこれらを計上していない。

異議申立に係る調査を担当した中川は、本件係争各年分の原告の有限会社山内からの仕入金額について、代表者山内と何回も調査を重ねて確認書(乙四九)まで取り交わしている。代表者山内は、その後、「間違いの可能性がある。」といっているが、これを裏付ける的確な根拠を挙げていないのであり、さらに誤りであるとまで断言するに至っているが、その変遷の理由が不明であり、不自然であることからすると、右確認書の信用性が左右されるものではない。

よって、昭和六〇年分における仕入金額の合計は二九〇九万円であり、昭和六二年分における仕入金額の合計は二一一〇万円である。

(4) 昭和六二年分における有限会社丸善木工からの仕入について

原告の主張に係る彫刻の代金を差し引いたことが値引きであることは否認する。原告の主張によれば、彫刻は本来丸善木工が注文すべき商品であるから、右代金を差し引いたことが値引きであるはずがない。原告が丸善木工のために立て替えた彫刻代を丸善木工に対して支払うべき仕入金額と相殺したものというべきである。

よって、仕入金額の合計は一九三九万七五〇〇円である。

(5) 原告主張の外注費について

原告が主張する手直し費用は本来坂尾木工が負担すべきものであり、また、株式会社山栄商事とは前記1(一)(4)でいう韓国の業者であり、そうすると同社からの仕入金額は本来丸善木工が負担すべきものである。それ故、これを売上原価に組み入れることはできない。

(6) 被告ら主張の仕入金額(売上原価)

昭和六〇年分 九六五六万二二〇〇円

昭和六一年分 一億二〇三三万七〇〇〇円

昭和六二年分 一億二〇一一万二五〇〇円

(二) 売買差益率について

(1) 売買差益率については、売上先への照会結果から個別商品名、単価及び金額の分かるものを抽出し、他方で、仕入先の反面調査により把握した資料のなかから右抽出に係る売上商品と同一の商品を選び、その単価比較により、差益金額を算出し、これを売上単価で除して算出した。この結果、差益率は次のとおりである。

昭和六〇年分 三一・一四パーセント

昭和六一年分 三二・三四パーセント

昭和六二年分 三一・七四パーセント

(2) 被告ら主張の方法の合理性

<1> 被告らは、売買差益率の算出にあたって、原告が取り扱っている商品のうち仏壇については「輝」のみを、仏具については「経机」のみを取り上げているが、これは税務調査で収集した資料及び本件訴訟で提出された資料を総合しても、確実な資料に基づいて売買差益率の算出に必要な売上単価、仕入単価及び仕入金額を特定することができたのは「輝」と「経机」のみであったためである。

<2> 被告らは、昭和六〇年一月八日の有限会社富田木工所に対する仏壇(一本)の売上を輝紫丹二二号として計上していない。これは原告の主張の根拠となると思われる甲第三五号証の3をみても、同日に売り上げたとする仏壇が「輝紫丹二二号」であるとまではいうことはできないからである。

<3> 被告らが、同年一〇月二六日における株式会社富士見堂家具新井支店に対する売上の仏壇(一本)を輝黒丹二五号として計上していないのは、富士見堂家具の取引照会回報書(乙四一)をみると、右仏壇が「輝黒丹二五号」であるということはできなかったためである。

<4> 被告らが、原告が山下家具センターに対し昭和六一年一月一八日に売り上げたとする仏壇(二本)を輝紫丹二五号(一本)及び輝黒丹二二号(一本)として、また、経机(二本)を紫丹二二号(一本)及び黒丹二二号(一本)として、計上していないのは、山下家具センターの取引照会回報書(乙四三)には昭和六一年一月一八日の取引についての記載がないからである。

同年七月一一日に売り上げたとする経机(二本)を紫丹二二号として計上していないのも同様である。

同年七月二二日に売り上げたとする仏壇(一本)を輝紫丹二五号として計上していないのは、右回報書の同年七月二二日欄には輝紫丹二五号の仕入本数は一本であると記載されているためである。

昭和六二年七月三一日に売上げたとする経机(一本)を紫丹二二号として計上していないのは、右回報書では、同日に売上げた経机が紫丹二二号であるとまではいえないためである。

<5> 原告がいづや葬儀社に対して昭和六一年七月一六日に売上げたとする仏壇(一本)及び同月二八日に売上げたとする仏壇(一本)をそれぞれ輝黒丹二二号として計上していないのは、いづや葬儀社に対する取引照会回報書(乙二七)の記載だけでは、右仏壇がそれぞれ「輝黒丹二二号」であるということはできないからである。

<6> 原告が一心堂に対し昭和六二年二月一四日売上げたとする経机(八本)を紫丹二二号猫足(四本)、紫丹二五号猫足(二本)及び黒丹二五号猫足(二本)として計上しておらず、また、同年九月に売上げたとする経机(二本)及び同年一〇月二九日に売上げたとする経机(三本)をそれぞれ紫丹二二号猫足として計上していないのは、一心堂の取引照会回報書(乙二九)の記載によると、これらを裏付けることができなかったためである。

<7> 原告が山佛協業組合及び浜木工からの仕入分に「輝」を含めているのは、山佛協業組合及び浜木工からの仕入れた商品を輝として計上しないこととすると、これを計上した場合と比較して、原告の昭和六二年分の輝紫丹二二号及び輝黒丹二二号の仕入単価が低くなり、その結果売買差益率が高くなってしまうので、計上した方が原告に有利であると考え、除外しないことにしたのである。

<8> 売買差益率を算出するに当たって、丸善木工からの仕入分を輝に含めなかったのは、原処分に係る調査の際に原告が丸善木工から仕入れている商品の商品名が特定できなかったことによる。原告は本人尋問において、丸善木工から仕入れた商品が輝であると供述しているものの、これを裏づける証拠もなく、丸善木工から仕入れた商品が輝であるということはできない。

(3) なお、原告は、法人成りした後の株式会社金輝の売買差益率(本人比率)を用いるべきと主張する。しかしながら、行政処分の違法性の有無は当該行政処分がされた時点を基準として判断すべきものであるから、更正時に課税庁が選択した推計方法の合理性は、更正後生じた事情を基礎とする別の方法によっては左右されない。また、推計により所得金額を算出する場合にはその算出の基礎となる資料は正確なものであることを要するが、金輝が青色申告の承認を受けているからといって、そのことから金輝の決算報告書に記載された数値が正確に資料に基づいて適正に記載されたということはできない。

(三) 一般経費について

(1) 一般経費については、類似同業者比率、すなわち、仏壇、仏具の製造卸売業を営む者で、次の要件を充たす青色申告者を抽出し、その平均一般経費率を用いて算定すべきである。

<1> 原告の納税地を所轄する鳴門税務署のほか徳島県内の各税務署(徳島・川島・阿南・脇町・池田)及び高松、松山、高知、今治、丸亀の各税務署管内において、仏壇製造卸売業を営む個人又は法人であること。

ただし、個人については、昭和六〇年分ないし昭和六二年分、法人については、昭和六〇年九月末日から昭和六一年三月末日までに終了する事業年度分、昭和六一年九月末日から昭和六三年三月末日までに終了する事業年度分及び昭和六二年九月末日から昭和六三年三月末日までに終了する事業年度分で、年一回決算のものであること。

<2> <1>のただし書の期間を通じて事業を継続していること。

<3> <1>のただし書の期間を通じて青色申告書を提出していること。

<4> 各年分又は各事業年度分の売上原価の額が次の範囲内のものであること。

<1>のただし書の期間の各年分又は各事業年度の売上原価の額が五〇〇〇万円から一億八〇〇〇万円までであること。

<5> <1>のただし書の期間を通じて不服申立て又は訴訟が係属中でないこと。

(2) 右の基準で抽出された三件の一般経費率及びこれらの平均経費率は次のとおりである。

昭和六〇年分

同業者A 一二・一二パーセント

同業者B 八・二三パーセント

同業者C 五・六八パーセント

平均一般経費率 八・七〇パーセント

昭和六一年分

同業者A 一〇・七七パーセント

同業者B 八・六四パーセント

同業者C 八・四八パーセント

平均一般経費率 九・三〇パーセント

昭和六二年分

同業者A 一〇・五五パーセント

同業者B 八・六〇パーセント

同業者C 七・一九パーセント

平均一般経費率 八・七八パーセント

(3) よって、一般経費は次のように算定すべきである。

昭和六〇年分 一二一九万九九八八円

昭和六一年分 一六五四万〇五五八円

昭和六二年分 一五四四万九五七二円

(4) なお、原告の営む仏壇、仏具の卸売業とその製造卸売業とを比較すると、業種の同一性には疑問をさしはさむ余地がないではなく、たとえば、売買差益率については業種間格差が存在する可能性は否定できないが、一般経費の額については両業種の間において一般的に格差が存在すると思われる費目は見当たらないことから、原告の一般経費の算定に当たっては同業者率を適用することが最も合理的な推計方法と考えられる。

(四) 被告ら主張の事業所得

昭和六〇年分 二六二二万五五二六円

昭和六一年分 三二三六万〇九〇一円

昭和六二年分 三五八四万五五〇六円

二  争点二について

1  原告の主張

(一) 所得税法二三四条一項は、国税庁、国税局又は税務署の当該職員は、所得税に関する調査について必要があるときは、納税義務がある者等に質問し帳簿書類等を求めることができるなど、所得税確定調査のための権限を有することを定める。

しかし、質問検査権の行使としての税務調査はあくまで任意であり、直接的、物理的な強制と同視すべき程度の方法で、税務調査が実施されれば、それは正当な権限の範囲を超えた違法行為ということになる。

(二) 昭和六三年八月三〇日の調査について

(1) 事前通知なしに調査に赴いた時には当然のことながら、納税者は不在ないし仕事の予定があることが多い。それ故、国税庁の出した税務運営方針にも事前通知の励行が記されている。しかるに、事前通知なしに原告宅に調査に赴いた清水実査官らは、原告の不在を告げられるや、いきなり、制止を振り切って一階倉庫に侵入するという挙に出た。これは明らかに原告ないしその妻である清子の承諾なしに行われたことであり、原告の管理する事務所の平穏を侵害する行為で、違法である。

(2) 清水実査官らは、「主人のいる時にして下さい。」という清子の申し入れを無視し、「子供の使いじゃあるまいし、すぐに帰れない。」等とあたかも調査に応じる義務があるかのごとく申し向け、かつ、「答えなければ専従者を取り消す。」などとさらに清子をおどし、返答を強要した。これは質問検査権として許される正当な職務権限の範囲を越えている。

(3) さらに、清子の制止を振り切って土足でエレベーター及び三階倉庫に侵入した点は、原告及び清子の住居の平穏を侵害する行為で違法である。

(三) 昭和六三年九月一六日の調査について

(1) 当日の調査状況

出張から帰宅した原告は、長期の出張の後は常に血圧が一八〇から一九〇と高くなり、その日も胸元がつまりそうな変調があったことから、朝の営業指示のあと、すぐに病院に行こうと、鳴門税務署に電話をかけ、一昼夜二〇時間余り一人で運転して徹夜で帰ってきたこと、体調がすぐれないため午前中に病院に行きたい旨告げて、体調が回復次第調査に応じることを申し出たところ、古高統括官は、「何そんなこと理由にならん。国税局の調査官はもうこちらを出発した後だ。」と電話を切り、清水、湊、菊池の三人の実査官を調査にさしむけた。

そして、調査に訪れた清水実査官らは、身分証明書すらろくに提示せず、「国税」と名乗っただけで、「レジを出せ。」、「金庫、現金を出せ。」と大声で迫り、「最初から大きな声で、最初からがんがん締めつけるように、人を苦しめるような物の言い方をするんだったら強制調査ですか。それなら令状か何か持ってるでしょう。先にそれを見せて下さい。」と懇願した原告に対し、清水実査官らは「そんなもん見せる必要ない。」と応じず、さらに、身分を明らかにするように求めた原告に対し、実査官らは「マルサの女のようなものだ。」とあたかも強制調査のごとき説明をした。

原告は、右のような実査官らのやり方に、体調が一層苦しくなり、丸一昼夜二〇時間以上かかっての徹夜での運転、血圧の高いこと等を述べ、一回ゆっくり休ませてくれ、病院に行きたいから日を改めて欲しいと願い出たところ、実査官らは、「後日にしたら売上を書き直して誤魔化すだろう。」、「調査を拒否する気か。」と大声で怒鳴りつけて、これを聞き入れず、仕入先や運送業者等の質問をし、調査を続けた。

午前中の調査が終わった後、昼頃に帰ってきた実査官らは、原告は体調の不調を訴えて、重ねて病院へ行かせて欲しいと実査官らに両手をつき頭を下げたにもかかわらず、「事務所が先だ」といって、原告の制止を振り切り、二階へかけ上がり、清水、湊実査官は事務室に侵入し、事務室に入った二人はメモをとった上、カウンターを超え、さらに内部へ入りこもうとしたが、原告の抗議により、中に入るのをやめた。他方、菊池実査官は倉庫の内に侵入し、メモをとるなどした。

清水、湊実査官は事務室から社長室へ入り、清水実査官は「炊事場」と書いている炊事場のドアまで手をかけた。そして、原告が「そこは炊事場ですからやめて下さい」というにもかかわらず、ドアをあけのぞき込む等の行為をした。

(2) 古高統括官らは、原告が体調が悪いと申し出ているにもかかわらず、それを無視し、あえて調査官をさしむけた。そして、清水実査官らは原告の事務所に到着してから、大声でどなりつけ、原告が何度も体調が悪いからなどと、正当な理由をいって調査の延期を申し立てているのに、それを無視して調査を強行し、その結果、原告に血圧二三五にまで至らしめるほどの負担をしいる過酷な調査を行った。これは原告の人権を著しく侵害する違法な調査である。自らの体調を理由にした延期は生命にかかわるものでありまさに正当な理由である。にもかかわらず、病院にすら行かせない、強引な調査をあえて強行することは調査の限界を超えた違法な調査といわなければならない。

(3) 清水実査官らは原告の要求に身分すら明らかにせず、大声でどなるなど強圧的な調査を行い、「マルサの女のようなものだ」とあたかも強制調査のごとく原告に申し向け、応じる義務があるかのごとき調査を行った。

税務調査は任意調査であるが、だからといって納税者が反対しなければ法律上の規定のないことは何でも行っていいということにはならない。専門的な知識にうとい一般の納税者は任意調査と強制調査の区別もよく分からず、国税局の調査をいうと強制調査のように誤解し、自らの意思すら言えないままに、その意に反する調査を強行され、人権上ゆゆしき問題が起きることも多々ある。従って、任意調査といいうるためには、税務調査に赴いた職員はまず氏名と身分を明らかにし、いたずらに困惑するようなやり方をせず、納税者の都合を聞いた上で仕事などに配慮しながら進めるのが最低限の適法要件である。そのためには、税務運営方針に「税務調査はその公益的必要性と納税者の私的利益との保護の調和において社会通念上相当と認められる範囲で納税者の理解を得て行うものであることに照らし、一般の調査においては事前通知の励行に努め、また現況調査は必要最小限度にとどめ、反面調査は客観的に見てやむを得ないと認められる場合に限って行うこととする。」と示されているように事前通知の励行がのぞましい。そして、少なくとも通知なくして調査に赴いた時は、任意調査か強制調査か聞かせたときには、任意調査である旨説明し、納税者の正当な理由に基づく変更申し出については十分に配慮すべきで、それを拒否できない。しかるに名前すらあかさず「マルサの女のようなものだ」と申し向けたことは明らかに相手方をして義務なき強制まがいの調査に応じせしめることを求める意思表示であり、違法である。

(4) 清水実査官らは原告の制止を振り切り、二階の事務所や倉庫に侵入しメモをとり、炊事場までのぞいたが、これらは原告の住宅の平穏を侵害する行為で違法である。

2  被告らの主張

(一) 昭和六三年八月三〇日の調査について

(1) 清水及び湊実査官が清子に対し原告方の倉庫及び事務所を見せて欲しいと申し向けたところ、清子は原告が不在であることを理由に二階を見せることは断ったが、一階及び三階の倉庫を見せることに応じ、清子が倉庫の鍵を開け、倉庫内の証明もつけてくれたのであって、清水実査官らが、原告が不在であることを確認するや、いきなり清子の制止を振り切って一階の倉庫に侵入したということはない。清水実査官らは、三階に上がるときも、階段を通ると二階事務所が見えるという理由で、エレベーターを使っている。

(2) 清水及び湊実査官らが清子に対し身分証明書を提示の上、身分及び氏名を名乗り、調査の目的を告げて事務の流れ、帳簿及び伝票類の保存状況、店舗の建築年月日、構造等を尋ねたところ、原告の妻が帳簿類等を見せるのは原告のいるときにしてくれるように言うので、清水及び湊実査官はそれ以上尋ねることなく、取引先、仕入先、店舗の構造などを聴取するにとどめた。原告の主張するような脅迫的言辞を弄したことはない。

(3) 同日の調査は午前中で終了した。昼をはさんで午後にまで及んだことはない。

(二) 昭和六三年九月一六日の調査について

(1) 同日に調査を行うことは、同年八月三〇日の調査の際に清子との間で合意したのであって、清水、湊及び菊池実査官は事前の通知なしに、原告方に臨場したわけではない。

(2) 同年九月一六日の朝、原告からの電話を受けた古高統括官が、体調が悪いので調査を延期して欲しい旨の申し入れを拒否して、清水、湊及び菊池実査官を調査に差し向けたこと、しかも、原告方に臨場した清水実査官らに対し、原告が、体調が悪いことを理由に調査の延期を求めたにもかかわらず、清水実査官らがこれを無視して調査を続けたという事実はない。

(3) 清水実査官らは原告に対し身分証明書を提示し、身分氏名を名乗り、来訪の目的を告げた上で、原告から世間話を交えながら一般的な事務概況に関する話を聞いたのであって、「マルサの女のようなものだ」などとあたかも昭和六三年九月一六日の調査が強制調査であるかのように申し向けたことはない。

(4) 昼食を終えて原告方に戻ってきた清水実査官らが原告の制止を振り切って二階の事務所や倉庫に侵入したことはない。

三  争点三について

1原告の主張

(一)  課税処分における税務署長の注意義務

(1) 税務署長は、課税処分を行うに当たっては、納税者の確定申告の内容及び税務調査等により収集した証拠資料を基準とし、これらを総合勘案して、心証を形成し、課税要件事実の存否を認定してこれに関係法規を解釈、適用して処分を行うのであるが、税務署長が、当該処分をなすにつき、証拠資料の収集及びこれに基づく認定判断において、納税者に対し負担する職務上の法的義務に違反した場合には、右処分は国家賠償法上違法とされ、納税者に対して被った損害の賠償責任を負うことになる。

(2) 税務署長は、推計により更正又は決定をすることができるが(所得税法一五六条、法人税法一三一条)、これはきわめて例外的な場合にかぎられるのであって、納税者が帳簿書類を備えつけず、帳簿書類の内容に信憑性がなく、あるいは納税者が調査に協力せず、帳簿書類の提出を拒むことにより、所得の認定に必要と認められる直接的資料を収集することができず、実額課税を行うことが困難である場合に、例外的、補充的な所得認定方法として認められるものである。

(3) 推計による所得の認定は、税務調査により把握された一定の基礎数値を元に一定の合理的算定によって納税者の所得金額を推算する方法を用いて行うものであるが、所得の認定を行うためには、一定の基礎数値を把握するに足りるだけの基礎資料を収集しなければならず、その点において実額課税の場合と程度の差こそあれ異なるものではない。

(4) そして、正しい税額を知るためには納税者自ら所有する帳簿、資料こそ最も重要で税務調査においては先ず納税者の作成した資料を収集することが第一義となる。反面調査などによる資料はあくまでそれが不十分である時、補充する役割を果たすに過ぎない。

(5) したがって、税務署長は課税処分を行うについて、可能なかぎり納税者の所有する原始資料を収集する努力を行い、処分時までに収集した証拠資料に基づき、可能な限りの実額に近い所得を認定すべき職務上の法的義務を負担しているといえ、税務署長が右義務に反した時には、税務署長がなした課税処分は、国家賠償法上違法との評価を受けるのである。

(二)  本件における資料収集状況等は次のとおりであって、清水実査官らは結局一度も原告の原始資料を調べず、自ら反面調査によって得た資料のみによって仕入や差益率を計算し、かつ、大栗税理士がその額がおかしいとして自らの資料に基づいて説明したいと申し出ているのに、一方的に更正処分を行ったのであるから、甲事件被告が右注意義務に違反していることは明らかである。

(1) 清水実査官らは、昭和六三年八月三〇日、原告の事務所に赴いたが不在であり一度も面談できず、また、原告の妻から、原告は九月半ば頃に帰るということを聞いていたにもかかわらず、翌三一日から銀行や取引先の反面調査に着手した。そして、同年九月一六日に、原告の帰宅を知るや、体調が悪いから先に病院に行かせて下さいという原告の頼みを聞き入れず、「現金を出せ、金庫を出せ。」と大声で迫ったが、結局、清水実査官らが原告に対し資料提出を求めたのはこの二回のみであった。

(2) 同年九月二〇日、実査官らは原告宅に赴いたものの、この日は原告が病院に行っていたため、実査官らが原告がいないのであれば調査はできないとして、一〇月五日を次回調査日と決め、すぐに帰った。同日について、大栗税理士が、原告は月の半ば頃までは毎月出張しているため調査は無理だと説明するも、実査官らは一方的に指示した。同日、やはり、原告は不在で、清水実査官らは、大栗税理士らに対し、高圧的に原告不在をなじるのみで、帳簿などの提出は一切求めなかった。大栗税理士は収支計算書の提出を実査官らに約した。

(3) 同年一一月二一日、大栗税理士は高松国税局に収支計算書を提出したが、実査官らは反面調査して、こちらが調べた結果、仏壇については三四パーセント、仏具については二五パーセント、三年分三三パーセントの修正申告をするように、それに応じないのであれば五年分三四パーセントで更正すると迫った。さらに、平成元年二月一三日、清水実査官らは大栗税理士に対し三三パーセントの修正を求めたことから、同税理士は原告に相談して対応する旨答えた。同年三月一日、徳島税務署で、大栗税理士は清水実査官と稲崎課長補佐に会い、収支計算書について「どこが間違っているか、教示してくれれば説明する」と説明を求めたが、清水実査官らは三三パーセント以外では応じられないと強硬に主張するので、大栗税理士はやむなく三月七日までに修正申告することを約した。

(4) 大栗税理士は、同日の午前中に修正申告をしたいので従前の内容を教えてくれるように古高統括官に頼み、教えてもらった上、午後に修正申告書を持参した。しかし、古高統括官はもう遅いといって受け取らず、翌日原告宅へ更正決定通知書が送付された。

(三)  本件更正処分の責任者清水実査官の注意義務違反

(1) 清水実査官は、次のような集計ミスをした。

<1> 有限会社山内からの仕入金額は、昭和六〇年分及び昭和六二年分につき、それぞれ三〇〇万円以上の過大認定をした。

<2> 岩城工芸については、昭和六一年度と昭和六二年度の二年にわたり、それぞれ五〇〇万円ずつの過大な計上をした。

<3> 坂尾木工については、昭和六〇年に約五一七万円、昭和六一年に約一六一万円、昭和六二年に三〇万円程度、過大認定をした。

<4> ずずやについては、昭和六〇年度で一二七万円ほどの過大な仕入額を認定した。

<5> 富山工芸については、昭和六〇年で約二七万円、昭和六二年で約六万円の過大仕入を認定した。

税務調査に携わる税務職員であれば、集計した額は調査後に調査した相手に聞き合わせ、その額の正確性を確認するのが基本であるのに、実査官らは、調査相手に確認することもなく、また、原告らの帳簿を調べようともせず、過大な更正を行った。大栗税理士がその数字の不正確さを指摘し、説明を求めていたのであるから、遅くともその時点で原告の資料と突合等を行う作業をしていたら、誤りは容易に発見し得たはずである。しかるに、実査官らはそれすら行っていない。これは、税務調査に携わり正確な資料の収集、正確な税額を把握すべき税務職員としての義務に著しく反した行為であり、その違法性は明らかである。

(2) また、同業者の選定も誤っている。

原告の事業の形態は仏壇の卸売業である。しかるに清水実査官らは調査を実施し、原告の仕事の形態を熟知しながら、仏具の小売業者を選定し、それに基づき、原告に対し三三パーセントの修正を求め、昭和六〇年度が三二・九五パーセント、昭和六一年度が三二・七〇パーセント、昭和六二年度が三二・七一パーセントという差益率で更正を行った。清水実査官らは反面調査で正確な数字を把握したというのであるから、本人の数字で差益率を計算することが可能であり、本人の数字で行う差益率の方がより正確な数字に近いことは自明の理であるにもかかわらず、それを採用せず、誤った形態の業種を選定し、本来ならば二四パーセント前後の差益率であるところを、三三パーセントとした過失がある。少なくとも、業種を全国にまたがる仏壇卸売として選定していれば、三三パーセントという率にはならなかったはずである。

清水実査官らは税務職員として要求される注意義務に反した過失があるといわざるをえない。

(四)  以上のように、本件更正決定を行うに際しては違法があり、さらに、前述のような違法な調査手続により、原告の高血圧症が増悪され、平成二年一月にはついに狭心症で入院する事態に陥ったことをも考慮すると、原告の精神的苦痛を慰謝するには二〇〇万円を下ることはない。また、本件訴訟を遂行するに際しての弁護士費用相当の損害として、二〇万円が相当である。

2 被告らの主張

(一)  税務署長が行う所得税の更正処分が国家賠償法一条一項の適用上違法となるかどうかは、税務署長が所得税の更正処分をするに当たって個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であるが、税務署長が所得税の更正処分をするに当たって個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したといえるのは、税務署長が資料を収集し、これに基づき課税要件事実を認定・判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正をしたと認め得るような事情があり、かつそのために所得税の更正処分において認定された所得金額が更正処分時に客観的に定まっている所得金額を上回った場合に限られると解される。

(二)  そこで、これを本件についてみるに、甲事件被告は、本件更正処分をするに当たって、まず業種、業態及び事業規模において原告と類似している同業者を選定して平均売買差益率を算出し、これに基づいて平均売上原価率を算出し、反面調査によって把握した原告の売上原価を平均売上原価率で除して原告の売上金額を算出し、この売上金額から売上原価、一般経費及び特別経費等を差し引いて原告の所得金額を算出した。

その結果、本件更正処分において認定された本件係争各年分の原告の所得金額は、昭和六〇年分から順に二二一二万三二二八円、三五九九万三一二六円、二八六四万二〇〇〇円であるのに対し、本件訴訟において甲事件被告の主張に係る本件係争各年分の原告の所得金額(これが本件更正処分時に客観的に定まっていた本件係争各年分の原告の所得金額である。)は昭和六〇年分から順に二六二二万五五二六円、三二三六万〇九〇一円、三五八四万五五六〇円である。

(三)  甲事件被告が本件更正処分時に認定した昭和六〇年分及び同六二年分の原告の所得金額は、甲事件被告が本件訴訟において主張する昭和六〇年分及び同六二年分の原告の所得金額(これが本件更正処分時に客観的に定まっていた昭和六〇年分及び同六二年分の原告の所得金額である。)を上回っていないから、仮に甲事件被告が昭和六〇年及び同六二年分の原告の所得金額を認定するに当たって何らかの不注意があったとしても、甲事件被告に昭和六〇年分及び同六二年分の原告の所得金額の認定に当たって職務上の法的義務違反があったということはできない。

(四)  他方、本件更正処分のうち昭和六一年分については原告の所得金額が過大に認定されていることになる。しかしながら、これについて、甲事件被告が前記(一)の注意義務を怠ったということはない。その理由は次のとおりである。

(1) 本件更正処分において認定された昭和六一年分の原告の所得金額(三五九九万三一二六円)が甲事件被告が本件訴訟において昭和六一年分の原告の所得金額であると主張している金額(三二三六万〇九〇一円)を上回ったのは、売上原価を過大に認定したとか平均売買差益率の算出に誤りがあったとかいうことによるのではなく、甲事件被告が、本件更正処分時において特別経費等を十分に把握できなかったことによるものである。

(2) そして、原告が昭和六一年分の特別経費の内容を初めて具体的に明らかにしたのは異議申立書においてであり、次に述べるように、原処分に係る調査の際には原告から昭和六一年分の特別経費の内容は明らかにされなかったし、また、これを知る手がかりとなる原告の帳簿類等は全く提示されなかったのである。

(3) すなわち、清水実査官は、昭和六三年八月三〇日の調査では原告が不在であることを理由に原告の妻から帳簿類等の提示を拒否され、同年九月一六日の調査では帳簿の整理ができていないとの理由で原告から帳簿類等の提示を拒否され、同月二〇日の調査では帳簿の整理ができていないとの理由で大栗税理士から帳簿類等の提示を拒否され、同年一〇月五日の調査では帳簿の整理ができていないとの理由で大栗税理士から帳簿類等の提示を拒否されたため、大栗税理士から整理できれば所得計算をした上で収支計算書の提出を待つこととした。同年一二月二一日に大栗税理士から提出された収支計算書には売上げの内訳や仕入の内訳などの明細が付けられていなかったので、清水実査官は明細の提出を求めたが、平成元年一月二七日、同年二月一三日及び同年三月一日の各調査でも、大栗税理士から収支計算書の明細の提示はされなかった。

(4) 大栗税理士はもと税務職員であったわけであるから、収支計算書の提出の目的は熟知していたはずであり、それにもかかわらず、収支の内訳を記載した収支計算書を提出せず、しかも再三にわたる収支計算書の明細書の提出の要請にも応じなかったのであるから、大栗税理士ひいては原告には、原告の本件係争各年分の事業所得の金額を算出するために必要な資料を提示する意思がなかったことは明らかである。

(5) 特別経費とは、売上原価を除く必要経費のうち同業者率によって推計しないで納税者が実際に支出した金額によって個別に算定する必要経費であるところ、納税者にとって何が特別経費に当たるかは当該納税者に固有の事情によって異なるのであって、特別経費に当たる費目に係る支出が必ずどの納税者にもあるというわけではなく、また、反面調査のみでは特別経費に当たる費目について納税者が実際に支出した金額を正確に把握することは困難な面があるから、税務署長において当該納税者の特別経費を正確に把握しようとすれば、当該納税者から具体的に特別経費に当たる費目について支出があった旨の申立てがなされるか、当該納税者の保管する帳簿類等資料の提示を受けることが不可欠となる。

本件では原処分に係る調査の際には原告から昭和六一年分の原告の特別経費の内容は明らかにされなかったのであり、また、これを知る手掛かりとなる帳簿類等の資料も全く提示されなかったのであるから、甲事件被告において本件更正処分時において特別経費等を十分に把握できなかったことは無理からぬところである。

(6) よって、甲事件被告は昭和六一年分の原告の所得金額の認定に当たって同年分の原告の特別経費を過少に認定し、その結果として本件更正処分時に昭和六一年分の原告の所得金額を過大に認定したとしても、それは、原告から同年分の特別経費について具体的な申立がなく、また、帳簿類等の資料の提示も全くなかったためであるから、ひとえに原告が清水実査官らによる調査に協力しなかったことに起因するものといえ、甲事件被告が本件更正処分時に昭和六一年分の原告の所得金額の認定に当たって職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったということはできない。

(五)  なお、原告は、反面調査において収集した資料の集計上の誤り、及び、同業者選定の誤りを主張しているが、次のとおり、いずれも理由がない。

(1) 集計上の誤りについて

<1> 甲事件被告が本件更正処分を行うに当たって推計の基礎として把握した仕入金額には、そもそも有限会社山内からの仕入金額は含まれていない。

<2> 岩城工芸の事業主は、反面調査の際に、調査官に対し、昭和六一年及び同六二年における原告との取引は各年とも五〇本程度であり、単価は二四万円から二五万円であったが、帳簿書類等は店舗移転時にすべて破棄したと申し立てたので、右取引本数に二四万円を乗じて、仕入金額を算出したのである。

<3> 坂尾木工は個人事業者の白色申告書であり、記帳及び資料の保存状態は極めて悪く、資料の一部が欠けるなどしていたため、清水実査官は領収書に基づいて原告の坂尾木工からの仕入金額を算出した。しかし、坂尾木工の事業主個人に対する調査の結果と対比すると、仕入金額が少なかったことから清水実査官は再び調査を行い、今度は注文書に基づいて算出した。確かに、裁決において、原告の坂尾木工からの仕入金額は減額認定されているが、注文書によって仕入金額を正確に認定することは難しい面があり、そのため、原告の資料に基づいて確認する必要があったのであるが、前述のような原告の態度により、清水実査官は原告の資料に基づいて確認する機会がなかったのであるから、甲事件被告が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったと言うことはできない。

<4> ずずやについては、反面調査の際にすずやから同社の原告に対する売上帳の写し(乙五一)の提出を受けたことから、右写しに基づいて算出した。

<5> 富山工芸についても、同社から領収書の提示を受けたことから、これから書き取った金額に基づいて算出した。

(2) 同業者選定について

税務署の業種の分類では仏具の販売業者と仏具の製造業者に分け、仏壇の販売業者は仏具の販売業者に、仏壇の製造業者は仏具の製造業者にそれぞれ含めており、また、仏具の販売業者は小売も卸売も含めたものであり、右のような分類に基づいて原告の同業者として仏具の小売業者を選定したのである。原告の店舗には仏壇等が展示されており、そして、前述のように、甲事件被告が本件更正処分にあたって原告の売上のうち小売りの占める割合を正確に把握できなかったのはひとえに原告の非協力によるものであるから、同業者選定にあたって職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったということはできない。

四  争点四について

1  原告の主張

被告は、第二五回口頭弁論において、差益率について、これまでの主張とは異なる新たな主張をするに至ったが、原告はそれまで五年以上にわたり、差益率の不合理性の立証に多大な労力を費やしてきたのであって、しかも、審理の結審間際になって、最終準備書面として提出されるべき書面で、従前の主張とは全く異なる新たな主張をするのは信義に反する。加えて、いたずらに訴訟を遅延させるものであるから、この主張変更は原告に多大な負担を与える行為である。

2  被告らの主張

争う。

第三当裁判所の判断

一  争点一について

1  仕入金額(売上原価)について

(一) 昭和六一年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

(1) 輝黒丹二二号の仕入本数について

<1> 所得税法における収入金額は、「その年において収入すべき金額」とされていることからすると、乙第五六号証により、原告は坂尾木工から一旦納品したものを手直しさせるために返品し、再度納品させていたことが認められるが、このような場合、再納品の時点での仕入分として計上すべきである。

<2> そして、昭和六一年一二月一九日に輝黒丹二二号一〇本の仕入があったことについては争いはないところ(原告平成一〇年二月一三日付け準備書面その一、被告ら平成八年一一月一二日付け準備書面九)、そのうちの一本が同月二三日に坂尾木工に返品され、昭和六二年一月一九日に再び納品されているものと認められる(弁論の全趣旨、甲二一及び甲二九)。

そうすると、昭和六一年分の所得の算定にあたっては、右本数は仕入本数から差し引く必要があるというべきであるから、坂尾木工からの輝黒丹二二号の仕入本数は一〇九本として計上すべきである。

(2) 値引きの有無について

甲第二一号証二三枚目をみると、二月に三万五一〇〇円、四月に二二万五三五〇円、五月に二万六五五〇円、七月に七万円、それぞれ値引きがなされたとされ、その合計は原告主張の値引き金額となるのであるが、同号証三三枚目(甲二九添付書面の一二頁)以下をみると、値引きがなされたとする二月、四月、五月及び七月に値引きとの記載はなく、そして、二月と五月の欄に運賃との記載があるが、右金額は右の値引き額と概ね合致するものであり、しかも、差引残高においてはその相当額分が減少している。有限会社坂尾木工を営んでいた坂尾勝介は、運賃については仏壇の代金と相殺されていた旨述べていること(乙五六)をも併せ考えると、原告が主張するような値引きの事実は認められない。

(3) 以上により、昭和六一年分における原告の坂尾木工からの仕入金額の合計は、被告ら主張のとおり、四九三四万九〇〇〇円と認めるのが相当である。

(二) 昭和六二年分における有限会社坂尾木工からの仕入について

(1) 輝黒丹二二号の仕入本数について

原告が、輝黒丹二二号(単価一六万一〇〇〇円)を一月に一〇本、四月に一〇本、九月に一〇本、合計三〇本仕入れたことについては争いはないところ(前記原告準備書面別表3、同被告ら準備書面)、前1(一)で述べたように、昭和六一年一二月二三日に返品され、昭和六二年一月一九日に再び納品された輝黒丹二二号一本については、昭和六二年一月分の仕入として計上されるべきである。

よって、同月の仕入本数は一一本となり、同年分としては三一本となる。

(2) 値引きの有無について

甲第二一号証二五枚目には、昭和六二年分の値引き合計額が五七万四四〇〇円と記載されている一方、甲第二五号証別表2によれば、同年分の値引きは五六万三〇〇〇円との記載があり、必ずしもその内訳が明確ではない上、原告の主張を前提にすると、原告は坂尾木工に対して損害賠償請求権を有するのであり、これに基づいて仕入れ代金が減額されたというのであれば、相殺されたというべきである。

よって、原告主張の値引きの事実は認められない。

(3) 以上により、昭和六二年分における坂尾木工からの仕入金額の合計は、被告主張のとおり、二八一三万一〇〇〇円と認めるのが相当である。

(三) 有限会社山内からの仕入について

(1) 証拠(乙五五、証人中川)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。これによれば、原告が有限会社山内から、昭和六〇年一二月に輝黒丹二二号を一二本、昭和六二年一二月に銀河二五号一二本を、それぞれ仕入れたものと認めることができる。

<1> 有限会社山内は、清水実査官の調査に対し、原告との取引はない旨答えていたが、中川は、調査を進めていく過程で、有限会社山内が原告から依頼されて仏壇を製造し納品しているが、その仏壇の一部(欄間等の木彫り部分)について山内が木村美佐雄に外注していることを知った。

<2> そこで、中川は、平成元年六月二一日と二二日の二日間にわたって、木村の事務所に臨場して、木村に対して調査を行い、木村の売上帳から、有限会社山内に対して、昭和六〇年には、一〇月二一日の「二二号つぼ形」一四本を含む合計一五四本が、昭和六二年には、一一月二六日「二二号銀河」二四本を含む合計一五六本が納入されていることが判明した。

<3> 中川は、同月二二日、二六日、有限会社山内の事務所に臨場して、代表者山内から調査を行い、有限会社山内の仕入帳と木村の売上帳を突合して、原告の商品でないと思われるものを除外した結果、有限会社山内は原告に対して、昭和六〇年には、一二月の「輝黒丹二二号」(単価二六万円)一二本を含む合計一〇八本を、昭和六二年には、一二月の「二五号銀河」(単価三〇万円)一二本を含む合計七二本を、それぞれ納入していること、山内は製造する段階で破損等があった場合のことを考えて原告からの注文よりも余分に納品してもらっていたことが確認できた。そして、同月二八日、代表者山内は、右について相違ないことを誓約した確認書(乙四九)を、高松国税局長に対して提出した。

(2) 原告は、右事実関係を争い、前記当事者の主張一1(一)(3)のとおり主張し、これに沿う代表者山内及び木村の妻喜代子の陳述書(甲七、三二、三四の1、四〇)もある。また、確かに、証人中川の証言は、昭和六二年一一月二六日に木村が有限会社山内に納入したのは「二二号銀河」であったが、これが有限会社山内から原告へ納品する段階では「二五号銀河」となっている経緯について、<1>第二五回口頭弁論においては、「単なる書き間違いだと思います。」、「木村さんから拾われたときの二二が、もしかしたら間違いかもしれません。」(証人調書添付速記録二二頁、二五頁)などと証言していたのが、<2>第二六回口頭弁論においては、「二二号銀河と記載してございますのは、木村さんの売上帳から、抽出したものです。それで、二二号銀河と書いてありますのは、山内さんの仕入帳に記載していたもので、山内さんの仕入帳の中には、二二号銀河と、記載しておりました。木村さんの売上帳には、二二号銀河と記載されておりました。それで、山内さんのほうに確認をとりましたら、二二号銀河であるといった旨の回答がありましたので、このように書いております。」(証人調書添付速記録五頁)などと変遷し、また、木村の売上帳の写しがあるにもかかわらず、被告らはこれを証拠として提出していないことから、中川証言に全く疑問を抱かないわけではない。

しかしながら、乙第五五号証別添書面をみると、中川が木村に対する調査結果と代表者山内に対する調査結果とを突合していることが明らかであり、中川の調査結果は信用性が高いということができるのに対し、代表者山内、喜代子の陳述書の記載内容(なお、右陳述著にはその根拠が示されていない。)は反対尋問にさらされていないことから、ただちにこれを信用することはできないことに加え、代表者山内は、中川の調査から四年以上経過した時点で「間違いの可能性があります。」と供述していたものを(甲七)、さらにその後の平成八年一〇月には「間違いで正しいものではない。」旨断言するに至っており、不自然であることや(甲三二)、代表者山内によれば「後日原告と確認して」誤りに気づいたというのであり(甲七)、しかも、「当時資料が残っておらず、国税局の担当者から調査の結果が正しいからと言われて確認する方法もなく、いわれるままに確認書(乙四九)に印を押した。」などと不合理な内容になっていることからすると、これらが中川の前記調査結果を覆すだけの証拠価値を有しているとはいえない。

さらに、原告は確認書(乙四九)に記載された昭和六〇年三月から一一月までの間、昭和六一年一月から同六二年一一月までの間の取引状況については争っていないものと認められるところ、その内容は甲第二一号証四六枚目の記載内容とも必ずしも一致していないことから、原告も根拠となる帳簿類等を有しているわけではないとみるのが相当である。

(3) 以上の次第で、昭和六〇年分の仕入金額には一二月の輝黒丹二二号一二本の仕入も含めるべきであり、昭和六二年分の仕入金額についても銀河二五号一二本を含めて計上すべきであるから、被告ら主張のとおり、昭和六〇年分の仕入金額は二九〇九万円であり、昭和六二年分の仕入金額は二一一〇万円と認めるのが相当である。

(四) 昭和六二年度における有限会社丸善木工からの仕入について

(1) 甲第二一号証五四枚目以下をみると、値引きという記載もいくつか認められるのに、本件一五九万円については「彫刻代」として計上されている上、差引残高においても、相当額が減少していることが認められる。そして、原告のいう「韓国の業者」とは山永商事を指すものと解されるところ、山永商事は原告が丸善木工等に発注した仏壇の天板の彫刻を担っていたというのであるから、その費用は丸善木工等が負担すべきものである。

そうすると、右一五九万円は、本来丸善木工が負担すべき彫刻代を原告が立て替えた上、仕入金額と相殺したとみるのが相当であり、原告主張の値引きの事実は認めることはできない。

(2) 以上により、原告の丸善木工からの仕入金額は、被告ら主張のとおり、一九三九万七五〇〇円と認めるのが相当である。

(五) 外注費について

(1) 原告の事業形態は、仕入先から仕入れたものを小売先に卸売りするというものであって、原告自らがこれに加工などをすることはなく、そして、原告本人の供述によれば、有限会社山内から仕入れる商品は出来具合が悪いものが多かったことから、仕入れるに先立って、原告の妻清子が商品を確認し、出来の悪い所は紙テープを貼って作り直させており、現に、坂尾木工は無償でこれを行っていたというのであるから(乙五六)、手直し費用は本来坂尾木工が負担すべきものであって、原告が主張するように、坂尾木工からの仕入商品について、工程が遅れることを理由に平岡工芸に手直しを依頼したとしても、右費用が原告が負担すべきものとなるものではない。それ故、この費用を売上原価に組み入れることは適切でない。また、山永商事についても、前記(四)(1)のように、その費用は本来丸善木工が負担すべきものであり、原告の売上原価に組み入れるのは適切ではない。津川商店の関係も仏壇などの修理費用というのであるから、同様と推認される。

(2) よって、原告主張の外注費は売上原価に組み入れられるべきものとはいえない。

(六) 以上のとおりであるから、原告の売上原価は、被告ら主張のとおり、昭和六〇年分が九六五六万二二〇〇円、昭和六一年分が一億二〇三三万七〇〇〇円、昭和六二年分が一億二〇一一万二五〇〇円となる。

2  売買差益率について

(一) 被告らの売買差益率の算出方法は、まず、<1>原告の売上先へ照会した結果得た回答(乙二六ないし四三、甲一四)の中から、個別商品名、単価、金額が特定できる「輝」(材質別、大きさ別、以下同じ。)及び「経机」を抽出し、これに基づき本件係争各年分の平均売上単価を算出し、<2>他方、反面調査の結果、「輝」及び「経机」に関して得られた資料に基づき、「輝」及び「経机」の仕入単価を算出し、<3>右<1><2>の単価比較により算出された差益金額を売上金額で除した数値を求めたものである。

これにより算出された売買差益率は、被告ら主張のとおり、昭和六〇年分が三一・一四パーセント、昭和六一年分が三二・三四パーセント、昭和六二年分が三一・七四パーセントとなる。

(二) いうまでもなく、推計課税を行うにあたっては、その基礎となる事実、資料の正確性が前提となるが、後述のように、清水実査官らに対して帳簿類の提出を頑なに拒んでいた本件においては、売上金額、仕入金額を算定するにあたって、甲事件被告が行った取引照会の結果や、反面調査の結果等を基に行わざるをえないというべきであり、その資料の中から、前述のとおり、個別商品名、単価及び金額が特定でき、かつ、原告の仕入金額のうち大きな割合を占めていた坂尾木工からの仕入商品であったことから、「輝」を取り上げ、これに「経机」の資料を合わせて検討したことには合理性がある。

(三) 原告は、被告らが抽出した売上先が少ないことを問題とするが、甲事件被告が、原告の売上先に対して行った原告との取引金額などに関する照会結果(乙二六ないし四三、甲一四)によれば、その多くは材質(黒丹、紫丹)しか記載されておらず、商品名、単価及び金額の特定ができないものもかなり認められることからすると、被告らの抽出作業を不合理とみることはできない。また、原告の売上帳(甲一三)及びこれに基づいて作成されたと思われる資料についても、原告は本人尋問において、清水実査官らの調査のときには売掛帳、買掛帳といった帳簿類は存在していたが、その後、事務員が誤って焼却してしまったなど、にわかに信用しがたい供述をしており、右売上帳の記載内容も甲事件被告が行った取引照会結果と相違するものが存する等、その正確性に強い疑問を抱かざるを得ない。

(四) 原告主張の不合理性について

(1) 確かに、甲第三五号証の3(甲第三六号証添付書面の四枚目)には、昭和六〇年一月八日の品名欄に「シタンかがやき」、数量欄に「1」単価欄に「22」と記載されており、数量欄と単価欄の記載を間違えたものと解することもできようが、正確な記載ではなく、他にこれを裏づける証拠も存しないことからすると、甲事件被告がこれを輝紫丹二二号として計上しなかったことが、不合理であるとは言えない。

(2) 富士見堂家具の取引照会回報書(乙四一)によれば、昭和六〇年一〇月二六日の欄に、、「輝二五〃」という記載があり、単価をみれば紫丹とみることができるが、「〃」に注目すると、すぐ上の「黒丹二五新型」とみることもでき、他にこれを裏づける帳簿類も存しないことからすると、昭和六〇年一〇月二六日における株式会社富士見堂家具新井支店に対する輝黒丹二五号一本を売上として計上しなかったことが、不合理ということはできない。

(3) 山下家具センターに対する取引照会回報書(乙四三)によれば、昭和六一年七月二二日以前の取引については記載が認められず、同日の輝紫丹の取引について数量欄には「1」としか記載されていない。また、昭和六二年七月三一日の品名欄には「経机22輝」と記載されているにすぎず、これだけでは「紫丹二二号」であると特定することはできない。他に原告の主張を裏づける証拠もないことからすると、甲事件被告の措置が不合理ということはできない。

(4) いづや葬儀社に対する取引照会回報書(乙二七)には、品名として「仏壇」、「経机」と記載されているにすぎず、商品名を特定することはできない。とすると、原告がいづや葬儀社に対して昭和六一年七月一六日に売り上げたとする仏壇一本及び六月二八日(原告は七月二八日と主張しているが、乙二七によれば、六月二八日の誤記と解される。)に売り上げたとする仏壇一本を、それぞれ輝黒丹二二号として計上しなかったことには、合理性がある。

(5) 一心堂に対する取引照会回報書(乙二九)をみると、二月一四日の品名欄には、「仏壇」、「経机」と記載されているにすぎず、また、九月、一〇月二九日の欄も同様であり、商品名を特定することができない。

それ故、原告の一心堂に対する売上金額のなかに、原告が昭和六二年二月一四日売上げたとする経机(八本)を紫丹二二号猫足(四本)、紫丹二五号猫足(二本)及び黒丹二五号猫足(二本)として計上しておらず、また、同年九月に売り上げたとする経机(二本)及び同年一〇月二九日に売り上げたとする経机(三本)をそれぞれ紫丹二二号猫足として計上していないことには、合理性がある。

(6) 清水実査官が丸善木工を調査した際、仕入金額については把握できたものの、商品名の特定までは至らず(乙五三)、他に丸善木工からの仕入商品が「輝」であることを特定できる証拠もない。

それ故、甲事件被告が丸善木工からの仕入に「輝」を含めなかったことについては、合理性がある。

(7) 原告が山佛協業組合及び浜木工から仕入れた商品が「輝」であることを特定できる証拠は見当たらない。

しかしながら、被告らが主張するように、山佛協業組合及び浜木工からの仕入れた商品を輝として計上すれば、原告の昭和六二年分の輝紫丹二二号及び輝黒丹二二号の仕入単価が高くなり、その結果売買差益率が低くなることから、原告に不利であるということもできず、右のような計上をしたこと故に、推計の合理性が失われることにはならない。

(五) 以上によると、被告ら主張の売買差益率の算出方法には合理性がある。

これに対し、原告は、原告が法人化した平成元年から同三年までの間の平均売買差益率(本人比率)に基づいて行うべきであると主張するのであるが、原告主張の本人比率の算定の基礎となる資料は、株式会社金輝の右各年分の確定申告書及び決算報告書であり、同社が青色申告者であることから、右資料がある程度の正確性を有していることは否定できないとしても、原始資料との照合作業を経ていない右書類をもって、ただちにその正確性が担保されていると判断することはできず、また、右各年分の資料は法人化した後のものであり、それ以前の個人営業の時代と同一であるとの確証もないことからすると、原告主張の方法が、被告ら主張の方法よりも合理的であるとまではいうことはできない。

(六) よって、売上金額は、昭和六〇年分が一億四〇二二万九七四一円、昭和六一年分が一億七七八五万五四五三円、昭和六二年分が一億七五九六万三二二八円となる。

3  一般経費率、一般経費

(一) 被告らの一般経費率の算出方法は、前記当事者の主張一2(三)(1)のとおりである。これに対し、原告は、卸売業と製造卸売業では、販売活動のための経費のかかり方が異なるし、また、原告の販売先は全国にまたがっているから、販売エリアの小さい業者に比べて出張経費等の営業経費が必要であるから、これらの点を明らかにしない以上、同業者比率に合理性がないと主張する。

(二) 確かに、原告が主張するように、製造業と卸業とは業種が同一ということはできず、また、原告は全国に得意先を有することから、旅費交通費を多分に要すると推測できるところである。しかしながら、原告の営業形態は、自ら実用新案を有し、設計をするなどして外注し、仕入れた仏壇を小売店に卸すというものであって、製造卸業とは自前の製造部門を持っているかどうかの点で相違があるにすぎず、むしろ、製造卸売業の方が製造設備等の経費を有することにより多くかかることも考えられなくはない。また、同業者の抽出についても、原告が清水実査官らの調査に対し頑なに協力を拒んでいる以上、多少類似性が希薄な同業者を抽出したとしても、これをもってただちに合理性がないということはできない。

(三) そうすると、一般経費率は、被告ら主張のとおり、昭和六〇年分が八・七〇パーセント、昭和六一年分が九・三〇パーセント、昭和六二年分が八・七八パーセントであり、これを用いて算出される一般経費額は昭和六〇年分が一二一九万九九八八円、昭和六一年分が一六五四万〇五五八円、昭和六二年分が一五四四万九五七二円と認めるのが相当である(円未満切り上げ)。

4  以上によれば、本件係争各年分の事業所得は、次のとおりとなる。

昭和六〇年分 二六二二万五五二六円

昭和六一年分 三二三六万〇九〇一円

昭和六二年分 三五八四万五五〇六円

してみると、甲事件被告が原告に対して行った本件係争各年分の更正処分及び過小申告加算税の賦課決定処分は、いずれも適法というべきである。

二  争点二について

1  昭和六三年八月三〇日の調査について

(一) 証拠(証人湊、同清水、同三木清子、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。これによれば、同日の調査が任意調査の範囲を逸脱した、違法な調査であるということはできない。

(1) 昭和六三年八月中旬ころ、清水実査官と湊実査官は、上司である横関課長から、原告の事業実態及び所得の内容を確認してくるようにとの指示を受けた。清水実査官は、原告の事業規模が大きく、収支の内訳書が提示されていなかったことから、事業の実態を確認するために事前通知することなく臨場しようと判断し、同月三〇日午前一〇時ころ、事前通知なく原告方を訪れた。しかし、原告が不在であったことから、一階店舗の応接セットで、原告の妻清子が応対した。

(2) 清水実査官らは、清子が原告の妻であることを確認した上で、身分証明書を提示して、身分及び氏名を名乗り、調査の対象年度を示して、所得税の調査に来たことを告げたところ、清子は、「私は、仕事にタッチしていないので分からない。帳簿を見せるのは主人が帰ってきてからにして欲しい。」などと答えた。清水実査官らは、清子が仕事をしていないと答えたことから、「それでは専従者にはなりませんよ。」と言った。そして、取引銀行、仕入先、店舗の構造等について話を聞いた。さらに、一階及び三階の倉庫と、二階の事務所を見せてもらいたいといったところ、清子は、「二階の事務所は主人がいないので見せられない。」といって拒否したが、一階と三階の倉庫については了解した。

(3) 清子は一階の倉庫のドアの鍵を開けて、倉庫内の電気をつけ、清水実査官らを案内した後、階段を上ると二階の事務所が見えるということで、エレベーターに乗って、三階倉庫へ案内した。

(4) 清水実査官らの調査は午前一一時三〇分ころ、終了した。

なお、同日、清子は、原告に電話で「今日国税局の人が来られて調査に入りました。」などと告げた。

(二) 原告は、清子証言を援用して、右の事実関係を争い、また、資料調査課に所属する清水実査官らが事前通知なしにわざわざ高松から徳島まで二人でやってきて、清子から「主人がいるときに調査にきて下さい。」と言われても応じず、臨場して調査していることからすると、経験則上、同実査官らが、強引に調査を行い、脅迫的言辞を弄することは、容易に首肯できると主張するのであるが、右主張は何らの根拠もない原告の単なる推測にすぎないから、採用できない。

そして、清子の証言の信用性についてみるに、同証言は、「(主人がいるときに来て下さいと言った後)それからすぐに、この一階の倉庫の中にさっと入っていった。」、「(その後一階の応接セットで)子どもの使いじゃあるまいし、はい、そうですかって言うて帰れません。奧さんは専従者控除だから、私たちの質問に答える義務があると言いました。」、「午後からも、売上先はどこか、県内の仕入先はどこかなどと聞かれ、分かる範囲で答えていたものの、『分からない』とか『専従者控除を取り消すぞ』と大きな声で言われた。」、「突然立ち上がって、二階、三階を見せろということで、エレベーターに乗り込んだ。」などというものである。

しかしながら、原告が不在であったとはいえ、専従者とされている清子が応対しているのに、これを無視する形で、清水実査官らがいきなり一階の倉庫の中に入るというのは通常考えにくい上、清子は、他方で清水実査官らに対して「近所に石川っていう中華屋、おいしいという評判だから、そこへ行ったら。」などと言って近所の昼食場所を勧めたと証言しているのであるが、右証言は、午前中の調査において、清子と清水実査官らとの間に強い緊張関係や対立関係があったとすれば、いささか不自然といわざるをえない。このほか、清子が調査当日に原告へ電話した際にも、調査の強引さを訴えた形跡が認められないことや、清水実査官らは、店舗の構造について説明を受け、二階に事務所があることを知りながら、同所では調査を行わなかったばかりでなく、階段を昇ると二階事務室が見えるとの理由でエレベーターを使用するなどの配慮をしていることをも併せ考えると、清子の右証言は信用することができないというべきである。

(三) なお、当日の調査に際して、事前通知はなかったことが認められるが、所得税法二三四条一項は、当該職員は、調査の目的、調査事項、申告内容、帳簿の記入保存状況、相手方の事業形態等諸般の具体的事情にかんがみ、客観的な必要性が認められる場合には、同条項所定の者に対し質問等を行うことができるとしており、この場合の質問検査の範囲、程度、時期、場所、事前通知の要否等、実定法上特段の定めのない実施の細目については、相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解すべきところ、本件では、前記(一)(1)の理由により、清水実査官は事前通知をせず、臨場する方法を選択したのであるから、その判断は、右合理的裁量の範囲内にあり、また、社会的相当な限度を超えているものともいえないから、直ちに調査が違法となるものではない。

2  昭和六三年九月一六日の調査について

(一) 証拠(証人湊、同清水、同三木清子、同大栗、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。これによれば、同日の調査が任意調査の範囲を逸脱した違法な調査ということはできない。

(1) 同年八月三〇日の調査終了後、清水実査官は、清子に原告はいつ帰ってくるのかと尋ねたところ、月の半ばになれば帰ってくると答えたことから、それでは九月一六日に調査を行いたい、もし都合が悪ければ鳴門税務署の古高統括官まで連絡を欲しい旨伝えた。

(2) 清水実査官は、九月一六日の調査の際には、帳簿類等の提示があるものと予測して、湊実査官のほかに、菊池実査官を帯同して、同日朝、高松を出発した。そして、鳴門税務署に到着した清水実査官らは、古高統括官から、今朝、原告から体調がすぐれないので都合が悪いという連絡を受けたが、調査官らはすでに高松を出発しているので連絡がつかない、それで会うだけ会ってほしいと伝えた旨の報告を受けた。

(3) 清水実査官らは、同日午前一〇時ころ、原告方を訪れ、一階店舗の応接で、原告と応対した。そこで、原告の体調を聞いたところ、原告は「レモン水を飲めばしゃきっとしたから大丈夫。」と答えた。なお、清水実査官らは、身分証明書を提示し、氏名を名乗り、調査内容を告げた。そして、強制調査ですかと聞かれたので、「マルサのようなものではなく任意調査ですよ。」などと答えた。

(4) 同日午前中、清水実査官らは原告に対して調査を行い、原告がいまの事業所、仏壇販売業を営むまでの経緯などについて話を聞いたが、原告が相談したい人がいるので、調査は昼からにして欲しいなどと言ったことから、清水実査官らは、午前一一時ころ、一旦調査を終了した。

(5) その後、原告は友人のところへ電話をかけて、大栗税理士の紹介を受け、同日午後〇時三〇分ころ、同税理士に電話をかけた。そして、「国税局という人が三名来て、それで調査すると言われましたが、どうしたらいいんでしょうか。」と相談したところ、同税理士は、「税務調査には強制調査と任意調査があり、強制調査であれば調査は拒否できないが、任意調査であれば、正当な理由をいって期日の変更を申し立てなさい。国税局の人の身分を確認し、メモしておきなさい。」などとアドバイスした。

(6) 清水実査官らは、同日午後一時ころ、再び原告方を訪れ、帳簿等の提出を求めたが、原告はまだ整理できていないといって、これを拒否した。なお、その際、清水実査官らが原告の制止を振り切って二階の事務所や倉庫に侵入した事実はない。

(7) 同日午後五時三〇分ころ、原告は、再び大栗税理士に電話をかけ、体の調子が悪いので、次回二〇日の調査はどうすればいいかと相談したところ、同税理士が受任し、同日の調査に立ち会うこととなった。

(二) 原告は、右の事実関係を争い、(1)「(清水実査官らは原告方に来ると、一階の応接セットにすわり)左の人は胸ポケットから何か白いものを、ぱっと出してぱっと引っ込め、真ん中の人は、白いものを出して、斜めにさっと走らせて、さっとつまえてしまい、右の人は何にも出さずに、何も言わなかったので、清水実査官らが国税局の調査を担当する人とはわからなかった。」、「お願いしますと頭を下げて、身分を明らかにするように申し立てたところ、一人の人が、マルサの女のようなものだと答えた。」(2)「(体調が悪いので早めに病院に行かして下さいとお願いしたところ)調査を引き延ばすのか、調査を拒否するのか。」などといってこれに応じず、また、(3)午後からの調査において、原告が制止するかかわらず、二階事務所に入り、炊事場をのぞくなどした、などと供述している。

しかしながら、右(1)の供述についてみるに、原告は、当日高松国税局の職員が税務調査に臨場することを事前に知っていたのであるから、当然清水実査官らの身分については知っていたはずであり、同実査官らがことさら身分証明書を重文に提示しないとか、身分を隠すような行動に出る必要は全くないのであるから、原告の右供述はそのまま信用することはできない。

次に、右(2)の供述についてみるに、なるほど、原告は当日、長時間にわたる車の運転、睡眠不足で体調が必ずしも十分でなく、現に、その後通院しているほどであるから、原告は、調査時に、体調不良を訴えたことも考えられるところではあるが、清水実査官らは、原告方に赴く前に、鳴門税務署において、原告から体調不良を訴える電話があったことを聞いていたことからすると、調査に先立ち、原告の体調を確認するのが通常で、その結果を無視して調査を強行するとは考えにくいし、その必要性もない。現に、原告が午前中の調査の際、清水実査官らに対して、税理士を入れて対応したいと言ったところ、清水実査官らは「それはいいよ、むしろそのほうがいいんですよ、我々の言っていることは税理士さんであればすべて分かっておりますから。」などと言って、むしろこれを積極的に勧めているほどであり、また、これを受けて、原告が大栗税理士に電話で相談した際にも、清水実査官らの調査の方法が強硬であるとかその方法に対する不満を述べた形跡も認められないこと、清水実査官らは右調査時すでに反面調査に着手していたのであるから、原告の体調を無視して調査を強行する必要性は認められないし、任意の質問調査権の行使にあたり、人の生命、身体に侵害を伴うような方法をとることが違法であることは余りにも明白なことであるから、清水実査官らがあえてこのような方法をとるとは到底考えられないことからすると、原告の右(2)の供述もそのまま信用することはできない。

最後に、右(3)の供述についてみるに、湊、清水両実査官は、当時被告らにおいて、清水実査官らが二階事務所へ入った事実自体を認める主張をしていた段階においても、右事実を明確に否定する証言をしており、その信用性は高いといえることなどを考慮すると、原告の右(3)の供述も信用することができない。

三  争点三について

1  税務署長の行う所得税の更正は、所得金額を過大に認定していたとしても、そのことから直ちに国家賠償法一条一項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく、税務署長が資料を収集し、これに基づき課税要件事実を認定、判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と更正をしたと認めうるような事情がある場合にかぎり、違法性があると解するのが相当である。

2  そこで、以下、右のような事情が認められるのかどうかについて検討するに、証拠(証人湊、同清水、同大栗)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 昭和六三年九月一八日に代理人として受任した大栗税理士は、翌日、横関課長に電話をかけ、原告の体調が悪いので、二〇日の調査を延期したい旨伝えたところ、同課長は「担当者は出張中で連絡がとれないから、原告方に臨場したときに、その旨伝えて下さい。」と答えた。

(二) 昭和六三年九月二〇日、湊実査官は調査のため原告方に臨場したが、原告は不在であったことから、大栗税理士と面接した。そして、関係帳簿等の提出を求めたが、同税理士は、整理が出来ていないといって、これに応じなかった。

(三) 同年一〇月五日、清水実査官らは原告方に臨場したものの、原告は不在で、大栗税理士と香川合同計算センターの職員と応対したが、右職員らは、「原告は税務相談しているからいいではないか、なぜ調査に来たのか、その回答を得なければ調査を進めない。」などと口にした。なお、このときも、大栗税理士は関係帳簿の提出に応じなかったが、最終的には、整理した上で、収支計算書を提出すると言った。

(四) 同年一二月二一日、大栗税理士が高松国税局に来て、収支計算書(甲一二)を提出した。これに対して、清水実査官と稲崎課長補佐は、売上の内訳や仕入の内訳がはっきりしなかったことから、その明細についての提示を求めた。

(五) 平成元年一月二七日、清水実査官は、高松国税局において、大栗税理士と面接し、収支計算書の明細書の提示を求めるとともに、調査で把握した差益率に基づく修正申告を慫慂した。

(六) 平成元年二月一三日、清水実査官らは大栗税理士と同税理士の事務所で会い、収支計算書の明細を提出するように求めたところ、同税理士は応じなかったが、慫慂のあった前項の差益率について検討していると述べた。

(七) 同年三月一日、清水実査官は、徳島税務署で大栗税理士と会ったが、このときも明細書の提示はなかった。そして、清水実査官は、修正に応じなければ更正決定がなされる旨を告げた。大栗税理士が帰り際に、「期限はいつまでか」と聞いたことから、清水実査官は更正決定を想定して「一週間」と答えた。

(八) なお、清水実査官らは、昭和六三年八月三〇日に事業概況などを尋ねたところ、事業規模も大きく、取引先も広範囲にわたっていることから、効率的な調査をするため、翌三一日から、反面調査に着手した。その主な調査内容は次のとおりである。

<1> 有限会社山内を調査した結果、本件係争各年分において、原告との間で取引はないとの回答を得た。

<2> 岩城工芸についても調査を行い、過去の書類関係はないが、昭和六一年分と昭和六二年分については、年間約五〇本ぐらいの取引があると聞いた。

<3> 坂尾木工については二回調査を行った。一回目の調査では領収証等で取引額を把握したが、その後もう一度、調査を行い、注文書から把握した分と領収証の金額を突合させたところ、領収証が足りない部分があったことから、昭和六〇年分と同六一年分については、注文書に基づき、仕入金額を計算した(乙四八)。

<4> ずずやについては、提示を受けた売上帳を集計して、仕入金額を算出した(乙五一)。

<5> 富山工芸の仕入金額については、領収証から書き出したものを集計して、算出した(乙五〇)。

(九) また、清水実査官は、原告が仏壇及び仏壇に関する製品を取り扱っていたことから、差益率及び標準経費率算定のための同業者については仏具の小売業者を選定した。税務署の業種分類では、仏壇を取り扱う業者は、仏具の製造業者と仏具の販売業者に分かれており、その仏具の販売業者のなかに仏壇の取扱い業者も含まれるとされていた。なお、差益率及び標準経費率算定のための同業者は、コンピューターから打ち出された仏具の小売業者のリストの中から青色申告者で調査対象年分三年間事業を継続していて、仕入金額が原告の仕入金額の二分の一以上で二倍以下(いわゆる倍半基準)の事業者のうち、調査対象年分の期間を通じて不服申立て又は訴訟をしていないものである。

3  以上の事実によると、原告が清水実査官らの調査に非協力な態度を採っており、甲事件被告が直接資料を入手出来ない状況にあったことは明らかである。

なお、大栗税理士は、昭和六三年九月二〇日以降に、清水実査官らから帳簿等の提出を求められたことはなく、同実査官は見ようとしなかったなどと証言しているが、右証言は右認定事実に反するものであって信用することはできない。

また、清水実査官は、最初の調査の翌日から反面調査に着手しているが、反面調査は納税者に対する調査が不可能な場合に限られるものではなく、清水実査官が翌日から着手した理由にも合理性が認められることからすると、その裁量権の範囲を逸脱するものではない。

4  甲事件被告は、更正決定に際して、昭和六一年分及び同六二年分における岩城工芸からの仕入金額、昭和六〇年分ないし同六三年分における坂尾木工からの仕入金額、昭和六〇年分におけるずずやからの仕入金額において、過大な計上を行っていることが認められるが、右のような反面調査の状況をみてみると、清水実査官の判断もまことにやむをえない面もあり、むしろ、その原因は、原告が再三にわたる帳簿類等の提示を求められたにもかかわらず、そして、これらが原告主張の仕入金額の正当性を裏付ける資料となりえたにもかかわらず、これらを提示しようとしなかったことにあったというべきである。

また、同業者の選定についても、右のような調査状況に照らすと、合理的な選定であったというべきである。

5  してみると、本件更正処分を行うにあたって、甲事件被告はもちろんのこと、調査の責任者であった清水実査官についても、その職務を遂行する上で、職務上尽くすべき注意義務違反があったということはできないのであって、原告が主張するような、国家賠償法一条一項にいう違法の評価を受けるものではない。

四  争点四について

本件においては、更正処分時に客観的に定まっている原告の所得金額の算定が主要な争点となっていたところ、更正処分時、原告は帳簿類等を甲事件被告に提出することなく、また、当裁判所に証拠として提出された書証も、算定するにあたって確たる基礎資料となりうるのか必ずしも定かでなく、被告らは、原告本人尋問の結果をみて、原告提出の証拠を再度検討した結果、主張を変更するに至ったのであるから、いたずらに遅延目的での主張変更ではない。事案の性質上、やむをえないものであったといえる。

それ故、被告らの主張変更は正当な訴訟行為といえ、これが不法行為を形成することはない。

第四結論

以上の次第で、原告の請求にはいずれも理由はないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本久 裁判官 大西嘉彦 裁判官 齊藤顕)

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